大川内山に藩窯が築かれた理由とは。”鍋島青磁”の魅力

将軍家、大名、茶人、文化人等の心を魅了してきた、鍋島青磁。

鍋島青磁とは。

将軍家や諸大名だけの為だけに作られていた鍋島焼は、お殿様への献上品という性質ゆえに、焼き物が民間に出回ることを厳重に取り締まり産地である大川内は現在では「秘窯の里・大川内山」とも呼ばれてきました。

このような三方山に囲まれており中国の山水画を思わせるような素晴らしい場所で私達は現在も30軒の窯元が坂に面して立ち並び、ものづくりをしております。

こんな素敵な場所に、私達が長年に受け継ぎ。
守り続けてきた青磁鉱石が採取できる山がございます。
青磁鉱石が採れる山は日本にも数カ所ありますが産地、産業として作っている場所はこの鍋島青磁だけではないでしょうか。

藩窯(藩が経営する窯)がこの大川内山に置かれた理由の一つに青磁鉱石が採取できたからとも言われております。

「青磁」最高級品の色
秘色 -ひそく-

青磁とは還元焼成(酸素を極限まで減らして焼く事)という焼成方法でやくと、釉薬に含まれる鉄分により化学反応を起こし、翡翠のような澄み切った美しい光沢のある青色に変化していきます。

その色が神秘的な美しさであることから『秘色』の色名がついたそうです。
秘色(ひそく)とは、有名な「源氏物語」にもその名が登場するほど素晴らしい色だったんですね!(凄い!)

上記でもお伝えした通り鉄分が炎の還元作用によって「青とも緑とも呼べない微妙な色」に発色することから「青磁」の名があります。ただ、ひとくちに「青磁」といっても、その色は器によってさまざまなのです。
釉薬の質、母胎となる土、焼成条件の微妙な違いで、発色がまるで変ってくるからです。

陶磁器本場の中国の青磁を見てみましょう。

越州窯青磁
1000年以上の歴史を誇り東洋最古の磁窯だと言われているそうです。

汝窯青磁
中国陶磁の最高峰と呼ばれている『汝窯』
名前もカッコいい!

汝窯(じょよう)とは、北宋時代末期(960~1127年)に宮廷用として作られた青磁の窯、または作品の事です。
しかも、わずか20年間しか作られていなく、すごく珍重されていたそうです。
現在では世界に70点ほどしかないと言われております。

砧青磁
南宋から元の初期(1127年~1279年)に作られた。
花瓶の中でも最も素晴らしく、王者の気品を備えた名作。

天龍寺青磁
元の時代から明の初期(1279年~1368年)に焼かれた大量生産された青磁です。

このように歴史が古い中国の青磁をみてもわかるように時代によって青磁の色はさまざまですね。
僕的には、汝窯青磁と砧青磁は好きですね!

将軍家、大名、貴族、茶人、文化人等の心を魅了してきた鍋島青磁。
鍋島焼の特徴の一つでもある鍋島青磁も中国青磁に負けない美しさがございます。

鍋島青磁の特徴。

素地全体に青磁釉薬を施した一般的によく目にする青磁。

このような青磁とは別に青磁釉薬のかけ分け技法などを用いた作品や青磁の上から赤絵が施してある青磁の作品などもございます。

これは中国青磁では見かけない、鍋島青磁独自のものだと思います。

美しいものを作る為には、
それなりの努力が必要!

青磁鉱石が採れるから青磁を簡単に焼けるわけではございません。
というのは歩留まり(正規品の比率の事)が悪く、昔じぃちゃんから聞いた話では、茶碗を窯に100個入れても1割〜2割程度しか正規品ができなかったそうです!

要するに美術品などの1点物としては作れたとしても一般市場へ流通させるほどの量を作る事は難しい為、ビジネスとして成立させる事が非常に難しく、当時は『青磁に手を出すと窯が潰れる』とまで言われていたそうです。

これほどまでに困難な焼き物だからこそ、どんな時代にも愛され続けてきたんだと僕は思います。先人達に感謝しかありません!

そんな鍋島青磁も鍋島藩が360年前に青磁陶石を求めて大川内山に移ってきて以来、技術が今に受け継がれている事は本当に有難い事だと思います。
また、こんな素晴らしい鍋島青磁の魅力をどのような形で後世に残し、伝えていくべきなのかを考えさせられます。

これからの50年後、100年後も多くの人を魅了していけるように取り組んで参ります。

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